同期会便り

1958年(昭和33年)卒業・新制8回生のクラス会報告(平成28年4月20日)

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集合写真

今年も大隈会館楠亭で開催された。入学時は70名のクラスだったが、去年の21人の出席者が今年は15人、この1年で5名のクラスメートがその生涯を終えた。出席者の平均年齢が81歳7か月だから無理もないが、病気や事故で来られなかった人は多い。しかし趣味のスケジュールが忙しくて来られない人もあつたからこのクラスの元気度は高い方だろう。

 大矢君(常任幹事と皆が認める)の挨拶、乾杯のあと幹事の平君が欠席者からのメッセージを簡潔に紹介してくれた。病気に苦しんでいる人はさすがに多く気の毒だが、ボランティアに励んでいる人、趣味でルノアールの模写をやっている人、鉄チャンで忙しい人などもあり、来なかった人の事が良くわかり。有意義な一駒だった。


大隈会館楠亭

 集合写真のあと、15人がそれぞれの近況報告を話した。この会は、当初病気の話と孫の話はしない約束だったが、遂に曾孫の話が永井君からが出る歳になったのには驚いた。又自分が84歳で死ぬ予定で終活をやっている大野君のかたわらで彼の孫が就活をしている話、上田君は原因不明の病気になったが、ある医師の薬を飲んだら治ったのでその薬の名前を後で教えるという不思議な話。安倍君からは都の美術館や博物館は65歳以上は無料(上野の都美術館は第三水曜日)なので利用すると良い。関口君は毎日一万歩、月に一度は1万8千歩あるいている。他にも1万歩歩くひとがいる。設楽君は昔は野球の話しかしなかったが、カズの岳父になった為、今はサッカーの話しかしない。彼や猪俣君のように応用化学から商事会社へ行った人は当時流行の先端にいて、応化物産とか太陽商事とか言ってクラスのヒーローだった。古い話では偶々中学時代同じ区に住んでいて、少年野球の試合で剛腕投手の安倍君と強打者の平山君が対峙したというエピソードも初めて聞いた。余語からは全国版の雑誌に2つの小論文「分子輪廻の死生論」ほかが掲載された事を報告した。

会の終わりの方で4月14日16日と二度にわたってM7クラスの大地震に襲われた熊本地方で亡くなった人、さまざまな苦難に遭った人々に想いを馳せて黙祷をした(平山君の提案による)
最後にいつもやる「フレーフレー早稲田」はリーダーの柳澤君が欠席のため、校歌斉唱だけで締めくくった。来年の幹事は永井、中野、平子の3君の予定

(記 余語盛男 写真 高橋信男)