故・村井資長先生のお別れの会が行われました。

 早稲田大学第10代総長、故・村井資長先生「お別れの会」が5月10日(水)10時か ら、大隈講堂で多くの参列者のもとしめやかに行われました。村井先生は、応用化学会名誉会員、応用化学科の名誉教授であり、草炭研究会の創立者でもあられたので、多くの応化会OBが参列されました。応化会からは里見多一会長、草炭研究会からは藤田耕平会長がそれぞれ追悼の辞を述べられました。。一方、ご遺族代表として、ご長男の村井吉和様より、本日の「お別れ会」に対して感謝のご挨拶がなさましれた。

献奏では早稲田大学グリークラブによる「早稲田の栄光」、早稲田応援部の指揮によ り「早稲田大学校歌」が全員で斉唱されました。最後に歴代総長に引き続き、海部、森元 首相も献花されて「お別れの会」が閉会されました。


応化会里見会長弔辞
 本日ここに村井資長元総長の御霊前に、在りし日のご活躍を偲びながら、かつて村井先生がご教壇に立たれていた、応用化学科卒業生約8、500余名の代表として、お別れの言葉を申し上げたいと存じます。先ずは早稲田大学に対する先生の長年に亘るご貢献に感謝し、喪心から哀悼の念を捧げます。

   村井先生は応用化学科旧制13回生として、昭和8年に早稲田大学をご卒業後、48年間に亘り大学教育並びに大学運営にご尽力されて参りました。先生のご専門は燃料工学で、戦前、戦後を通して早稲田大学の石油工学、それに続くエネルギー研究の日本における確固たる基盤を築かれました。私の恩師加藤忠藏先生もこの石油工学、燃料工学を引き継いでおられたのも不思議なご縁とも言えるのかもしれません。先生のご研究はその後、草炭研究として現在も後輩の研究者に引き継がれております。

   先生自身も2年ほど東京大学で勉強されて来られた事もあり、常々他流試合が必要であり、早稲田も研究者或いは教師陣に対して門戸を多いに解放すべきとのお話もされておられました。

 学問は世界人類の為のものである事から、大学が国際性を持つべきことを当時から学内外に強く訴えて来られました。教学担当理事さらに1970年から8年間に亘る総長時代では、学内紛争で大変困難だった当時の大学行政にご尽力され、一方、学外にあっても、日本私大連盟会長として私学のあり方、私学助成の問題などに多大なるご貢献をなされました。

 このような輝かしいご功績の中で、村井先生の常に笑みをたたえられた柔和な眼差しと、人間味のあるひととなりに接し、親しみと共に深い尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。

 私ども一同は、先生が生前お示しくださいました早稲田大学をこよなく愛された深い思いと高邁な精神を忘れることなく、尊い教訓として、私どもの脳裡に深く刻まれて行く事をお誓い致します。
 村井先生、安らかに御眠り下さい。         合掌

平成18年5月10日
早稲田応用化学会会長
(昭和四十七年加藤研究室卒)
里見多一