応化会中部支部(早化会)第2回笠倉 忠夫氏の講演要旨(2009年2月21日(土))
演題:「環境問題に携わって40年」
講演中の笠倉 忠夫氏
講師のプロフィール
- 現 職 愛知、岐阜、三重各県及び名古屋、豊橋、津、四日市各市の環境委 員会委員 (財)名古屋産業科学研究所上席研究員
- 略 歴 昭和33年 早大応用化学科卒業
- 昭和35年 日本碍子株式会社入社、エンジニアリング事業本部開発部長歴任
- 平成 8年 豊橋技術科学大学エコロジー工学系教授就任
講演の要旨
1) 日本碍子(株)時代(1960年~1995年)
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1960年に日本碍子(株)へ、化学装置事業立ち上げの為にヘッドハンテイングされ転職し、都市人口の増加による上下水設備需要の急増や全国での上水場の新設ラッシュに着目し上下水道施設装置の事業展開に着手した。
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日本碍子(株)のコアー素材であるセラミックを使用した上水急速濾過池の濾床と下水処理曝気槽の散気板の上市並びに自社技術による汚泥焼却用多段炉等の設備開発に成功した。これら装置の販売は、15年余におよび高い市場独占率を占め(濾床と散気板は独占、多段炉は60%以上)、日本碍子(株)の業績に多大な貢献をもたらし、現在の日本ガイシ(株)の経営基盤事業である環境装置事業部門へと発展せしめた。事業の成長はLogistic curveに極めて良く一致し、退職時の売上規模は800億円/年であった。
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開発研究では、下水処理暴気槽の実機の散気性能を把握する方法として、「散気性能指標」を提案、この提案が下水道研究分野で世界最高レベルの賞であるWPCF(Water Pollution Control Federation)のEddy Awardを、汚泥焼却研究では「汚泥の熱分解プロセスの開発」と「一般都市ゴミの焼却灰の溶融研究」が夫々化学工学会技術賞や下水道協会優秀論文賞を授かる等、研究開発の業績は学会や業界で高い評価を受けた。
- ・日本碍子(株)での研究開発は、恵まれた環境下で自由闊達に思う存分腕を振るう事が出来、多くのテーマでフロントランナーとなれたのは誠に幸運であったと共に、その後の豊橋技術科学大学教授や行政の環境委員会活動に結びつき、生涯、環境問題に携わる運命的な出会いであったと回顧された。
2) 豊橋技術科学大学教授時代(1996年〜2001年)
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豊橋技術科学大学のエコロジー工学系の教授に招聘されるも、高年での大学教授就任が故に大変な苦労を強いられた。
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専攻外の講座で学生に授業をしなければならない事や、最初から研究を立ち上げねばならず、其の研究費も不足分は自力で集めなければならない事等が就任直後から要求され、苦労の連続であったが幸い日本碍子(株)の支援も得て何とか乗り切る事が出来た。
自身は有機排水処理、RDF(ゴミ固形燃料)の熱分解及び汚泥中水分の存在形態などの研究に取り組んだ。 -
大学教授となってから外部活動が飛躍的に増えた。10以上の学会活動や産学連携による共同研究、あるいは環境問題の学識者として多くの地方自治体の環境委員会委員を委嘱された。これらの外部活動を通じて、行政、各種団体、企業及び個人と親密な人的ネットワークを持つに至った。
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産学連携による共同研究を行ったが期待した成果は得られなかったのが実情であった。これは定量的に割り切れない課題が残り企業側のメリットに必ずしも繋がらない事と、我々のような分野では「大学の知」はなかなか工業技術に結びつき難く、特許かヒントを企業へ与えるのが精一杯であり、今後の産学連携のあり方が問われていると思われる。
3) 中部地区の環境関連委員としての活動(2001年〜現在)
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大学を退官後も積んできた学識と経験を生かすべく、自治体等から委嘱があった場合には積極的に参加しようと考え、愛知、岐阜、三重各県及び名古屋、豊橋、津、四日市各市の環境関連委員会の委員活動を開始した。
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最も大きな仕事は、2003年8月19日に三重県桑名市のRDF発電所で起きたRDF貯蔵サイロの爆発事故の後処理であった。RDF発電所設置申請に伴う専門委員会委員として関わっていた為、直ちに事故調査専門委員会委員長として、事故原因の調査・解析を行い三重県知事に報告書を提出した。
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その後同じような発熱−発火事故が大牟田、石川北部に立て続けに発生、其の原因は夫々の場所で異なる結果となったが、発火を誘引する発熱の直接原因は我々の実験や調査事例よりRDF中の微生物発酵による発熱であると確信している。
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現在、三重ごみ固形燃料発電所は、安全管理会議と技術部会により徹底したリスク管理とリスクコミュニケーシヨンがなされ順調に稼動しており、現在も技術部会部会長としてRDFの安定運転に監視と助言を与えている。
事故後のRDF発電装置の運転安全性は向上しており、一般ごみの処理方法としては、RDF発電が最も有効な手段であり、今後は広域化を進める事で普及してゆくと思う。
現在、笠倉氏は(財)名古屋産業科学研究所に籍を置き、18におよぶ環境関係委員会の委員
活動を行っているが、今後も「大学で禄を食んだ者としての義務である」と心に刻み活動
を続けたいと述べられ講演を終えられた。
(文責:堤正之)
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