新年囲碁会、忘年囲碁会、春秋のGO&GOLF会と季節が巡るがままに、会 を重ね遂に煩悩の数を越えました。強くなりたいと言う煩悩もさることながら、仲間の元気な顔を見ることも楽しみとなっているのでしょう。多少の年齢の巾はあっても、何のしがらみも無いのが何よりです。何故か「〜ちゃん」付けが増えた仲間と各々の持ち点に応じて、和やかな内にも真摯な対局が、六本木の某ビル「ウロウロの間」で、8面程を挟んで繰り広げられます。碁悦同衆です。
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○ | たのしみは年のはじめの囲碁会に |
烏鷺のなかまといむれをるとき (世古口 健)
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そんな中にも時の流れが押し寄せ、昨年は有力メンバーの1人、滝沢譲君を失いました。誠に「棋風堂々」たる一言居士でした。もっとも筆者の如き下手が論評できるものではありません。多目置かせた対局で、状況芳しくないとあっさり石を置くことがありました。ご冥福を祈るのみです。
出身地を離れ、会社を離れてみると、自分で外に出て行かないと会話したのはTV相手のみだった、と言うことになりかねない。娑婆の風に当たることが大事と思うので、颯爽と出かけます。胸の裡で「戦績は二の次、参加する、参加できることに意義あり」と唱えつつ。今日はウロウロ会と言って駅に向かう。愚妻の機嫌がいい。認知症チェックに1人でキップを買って電車で出かけられるか、なる設問がある。今やICカードのお蔭で楽なものですが。
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♪ | 勝って来るぞと張り切って 誓って家を出たからにゃ |
勝ち越しせずに 帰らりょか 瀕死の我が石見る度に かけ目は要らない 眼が欲しい (岡野 毅) |
日中韓の三国棋戦では日本勢の歩が悪く、五輪の女子バレー、はては液晶T Vのシェアの歩みも似通って歯がゆい。悔しさつのって一駄句
東北大震災から一年、付随して起きた原発事故、ことに放射能拡散には胸痛む所です。想定外の津波と言うが、古文書に記録があったとのこと。不足な想定は困ったものです。
碁では如何に相手の想定外の好手を見出すかに勝機があるようです。辰年の新年を迎えて、まだまだ強くなりたいと言う一首
入学を秋にとか、大学制度が世界遺産など言われないよう、変革して行って龍のように昇ることを願いつつ、碁を打ちます。
以上