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大学を卒業してから満57年が過ぎたが、卒業後1回も欠かさなかったクラス会を今年も4月8日、大隈会館楠亭で開催した。 卒業の翌年の昭和34年1月にこの大隈会館(改装前の建物)において第1回のクラス会を開き、以後平成18年までは毎回、ここで開催してきた。その後、皆さんの利便性などを考慮し、会場を有楽町の東京国際ファミリーセンターに移し、昨年まで開催してきたが、昨年末から、その会場が利用できなくなった。
私たちの在学中は現在の理工学部のある西早稲田キャンバスはまだなく、大隈公の銅像のある現在の早稲田キャンバスの中で、すべての授業を受けていた。それだけに出席した皆さんにとって、今回の大隈会館での開催は昔を偲び、好評であった。
私どもの頃、応化は1学年70名の1クラスで、最初のクラス担当の先生は村井資長助教授(後の早稲田大学総長)で明るく、気さくなお人柄で、授業は「工業化学通論」をご担当、クラスの雰囲気を明るくしていただいた。
1年生の終わり頃からクラスメートはお互いに親しくなり、クラスの懇親会や休日にハイキングをしたり、また慶応大や学習院大の化学系の同学年生との懇親野球をしたり、皆で楽しむことができ、次第に親しい友としての絆が固くなってきた。
大学を卒業してからも、一段と仲間意識が強く、親しくお付き合いしていたが、年1回のクラス会では満足できず、クラス会を年2回開催の要望が出て、平成2年から16年まで春だけでなく、秋にも9月にクラス会を開催した。この会は「稲化33DB会」と称し、毎回、東京駅八重洲口のルビーホールで開いた。
このクラスは学生時代に4回、親睦誌「BOND」を発行した。BONDは「結合」の意味であり、一重結合より更に強い「DOUBLE BOND」を意識して「DB」と命名した。「BOND」誌は卒業後も、平成9年に「還暦記念号」、平成11年に「卒業40周年記念号」、そして平成16年に「古希記念号」と3回発行したが、多くの皆さんからの投稿もあり、紙面を賑々しくした。
ところで今年のクラス会だが、出席者は21名。幹事の小松原君の開会の挨拶と乾杯の音頭で会は始まったが、出席者のほとんど全員の皆さんが、マイクを片手に近況報告をした。なかなか盛況であった。
出席者の何人かは79歳で、後は80歳以上、持病はあるものの元気にお話をしていただき、なかには「誕生日 ろうそく吹いて 立ちくらみ」との川柳をいれ、笑わせるものもいた。
早稲田応用化学会の中部支部を立ち上げ、初代の支部長を勤めた牧野兼久君が名古屋より、この会合のため上京して出席し、挨拶した。また、この会に初めて出席した平山利治君が今も特許関係の技術士として大変忙しく毎日働いていると元気なスピーチもあった。
皆さんの熱弁に加え、今年も高橋信男君の小型ハーモニカによる熱演もあり、終始、大変賑やかな会となったが、耳も遠くなり、声が一段と大きくなってきたこともある。だが、いつも楽しい会である。
最後は恒例になっているが、早稲田大学校歌を皆で元気に歌い上げ、お開きとした。
今回の幹事は小松原道彦、設楽卓也、ならびに関口安貞の3君でした。
(平成27年4月15日)
小松原幹事の挨拶と乾杯音頭 | 楽しい歓談風景(1) | 楽しい歓談風景(2) |
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